父と母の死から考えたこと

父が死に瀕したのは、今から34年前の6月でした。

診察にあたっていたお医者さんが、「どこが悪いのかわからないのですよ。全体的に弱ってきていて、お父さんが90歳なら典型的な老衰なんですがねえ。まだ71だし。どこが悪いのかがわからないので、手のつけようがありません。」

意識はすでになく、素人目で見ても、これからそれほど持つとは思われませんでした。

そのあとのお医者さんの一言はとても印象に残りました。「生きる気がなくなっちゃったんでしょうかねえ。」 生きる気がなくなると人は死ぬものなのか。緩慢な自殺というやつですか?

父は老人病院にいて、手厚く世話をされていたわけで、セルフネグレクトなんかやりようがありません。それでも急速に弱っていき、死を迎えました。

死亡診断書の死因はどうなっているのだろう、わからないって言っていたけど。死因の欄を急ぎ確かめると「心不全」。なるほど、最後は心臓が止まったわけだから、間違ってはいない。

そして母、老人ホーム入所後に起こったコロナ禍で、面会はかなわず、他人の呼びかけに反応しなくなってから2年を過ごしました。91歳だから、死因は老衰かなと思いましたが、死亡診断書の死因は脳卒中。

8月7日、私たちが老人ホームに駆け付けた日に、呼吸が一時的に止まったのは軽い卒中を起こしたからという説明がありました。そして15日から呼吸の状態が変わったのは、肺炎を併発したからだそうです。最後まで死と戦った末の大往生だったと思います。

戦うことを放棄した父と最後まで戦った母。これって個人差もあるんだろうけど、男と女の違いも大きいのかなと思いました。

人類が生き残るために、男はすべてが生き残る必要はありません。イスラムでは4人まで妻が許されますが、これはこの決まりができた当時、戦乱が続いていて、男人口が極端に減っていたからだそうです。生き残った男に数多い女を養わせるのが得策ということです。

チンギス・ハーンなんか一人で100人以上の子を作り、その直系の子孫は現在1600万人に達すると言われています。DNA鑑定の結果、アジア男性の約4割は、チンギス・ハーンを含む11人の偉大な父の子孫だそうです。

生きがいは男女ともに必要だと思うけれど、男の方が女より余分に生きがいが必要で、納得できる人生の意義を得るために頑張り、それが見いだせなくなると体まで蝕まれてしまうのかもしれません。

父は努力や頑張りとは無縁の人で、俺は俺だから偉いと思っていたようで、母や子供たちを膝下に敷いていました。母はただ敷かれていましたが、私たち子どもは長じるにつれて、無能な暴君に嫌気がさし、早々と自立しました。そして家族は崩壊し、父は威張り散らせる身内を失い、同時に生きる意味を失ったわけです。

もちろん、父から教わったこともあります。父は実務能力は皆無でしたが、、遊びには長けていました。自然の中で遊ぶことは、父から教わり、それは私の根底を作りました。私は一人でもご機嫌に遊べますが、父は威張れなくなると、遊ぶことも止めてしまいました。どうして?わかりません。私が女だから?男の人には父の気持ちがわかるのでしょうか。

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